弘田 三枝子

ひろた・みえこ

 

弘田 三枝子(1999年5月4日、撮影)

 

本名 竹永 三枝子(たけなが・みえこ)
生年月日 1947年(昭和22年)2月5日
没年月日 2020年(令和2年)7月21日
血液型 A型
出身地 東京都世田谷区
ヒット曲 子供ぢゃないの 悲しき片想い
ハロー・メリー・ルー VACATION
ステキな16才 想い出の冬休み
渚のデイト 夢見るシャンソン人形
ひとつぶの真珠 渚のうわさ
人形の家 レオのうた (ジャングル大帝)
レナウン・ワンサカ娘

 

ぼくらの年代では、弘田三枝子さんのことを知っている人は少ないし、知っていても、ファンだという人は居ません。しかし、ぼくは、誰が何と言おうと、弘田三枝子さんのファンです。尤も、ファンになったのは、ぼくが20代になってからなのです。20代前半の頃、ぼくは、1950年代〜60年代に外国でヒットしたポップスに興味を持つようになり、大全集を買いました。その大全集を聴き、コニー・フランシスに憧れるようになり、コニー・フランシスの歌の日本語版をたくさん歌っている弘田三枝子さんのCDも聴いてみたくなり、1989年に彼女のCDを買いました。そのCDを聴いているうちに、いつしか弘田三枝子さんのファンになっていました。彼女の魅力は、独特な歌い方(もちろん、歌唱力抜群)と、本当の年齢には見えない美しいルックスと、優しい人柄です。彼女は、1970年代後半に暴漢に全身を刺され、重傷を負ったことがありましたが、みごとに回復し、歌手活動を再開していました。ぼくは、1999年5月に、弘田三枝子後援会のカラオケ大会に参加し、彼女と直接逢い、話をしました。とても綺麗で、優しくて、感じのいいお姉さんでした。70歳を過ぎても歌手として活躍していましたが、2020年7月20日に自宅で倒れ、その翌日(21日)、心不全のため亡くなられました。もう20年以上も逢っていないので、そろそろ逢いたいと思っていた矢先の訃報でした。結局、1999年5月に東京で逢ったのが、最初で最後の出逢いでしたが、その日の想い出は、いつまでもぼくの心の中に生き続けることでしょう。

「好きな歌手、紹介」表紙へ戻る