印象に残っている相撲

 

ぼくが今までに見た相撲で、特に印象に残っている5番です。

 

昭和50年春場所

優勝決定戦

貴ノ花健士:北の湖敏満

寄り切り

戦後最高の人気力士・貴ノ花(後の二子山親方)が、念願の初優勝を決めた名勝負。横綱北の湖(後の北の湖親方)と大関貴ノ花は、共に13勝2敗の成績で、優勝決定戦を行うことになった。
制限時間後、4回目の仕切りで両者は立ち上がり、北の湖は狙いどおり上手を引きつけたが、貴ノ花は徹底的に右から絞り、両差し。苦しくなった北の湖は、正面へさがって上手投げを放ったが、貴ノ花はこれに乗じ、右で前ミツを引き、頭をつけ、深い左下手も捻るようにして引きつけ、北の湖の上体を起こして西土俵に寄り、北の湖は必死にこらえたが、貴ノ花はかまわず寄り、北の湖はついに土俵を割った。館内は、大歓声や悲鳴と同時に、座布団が次々に土俵に投げ込まれ、土俵上は座布団でいっぱいになった。
表彰式の時、貴ノ花の師匠であり、22歳も年の離れた実兄である二子山親方(第45代横綱・若乃花)が、目を真っ赤にして泣きながら出てきたのがとても印象的だった。
昭和55年春場所

11日目

朝汐太郎:北の湖敏満

引き落とし

当時は、横綱・北の湖(後の北の湖親方)の全盛時代。「誰か、北の湖を倒す力士が現れないか」と誰もが考えていた時、ひとりの“北の湖キラー”が出現。その名は、朝汐太郎(後の大関・朝潮、現・砂親方)。
立ち合いから朝汐が激しく突っ張ると、北の湖も応戦して突き返し、一気に東へ押して出た。しかし、朝汐は土俵際で右へ回り、右手で北の湖の左肩を、左手で北の湖の首をおさえて叩くように引き落とすと、北の湖は足がついて行かず、四つん這いになった。次代を担う若手力士が大横綱を倒し、館内は大いに沸き、座布団が乱れ飛んだ。
全勝の横綱・北の湖に土をつけた朝汐は、この場所、殊勲賞を獲得。それ以来、すっかり横綱(特に北の湖)キラーとなる。
朝汐は、その後「朝潮」と改名し、大関に昇進するが、横綱昇進の夢は果たせずに引退。
昭和56年秋場所

5日目

大錦一徹:若乃花幹士

小股掬い

大錦(現・山科親方)は、新入幕で横綱や大関を倒し三賞を独占し、翌場所は小結に昇進し、有望視されていたが、その後は怪我や病気のため伸び悩み、長く十両に低迷していた。しかし、昭和56年春場所に再入幕してからは幕内に定着し、同年の秋場所、初日から4連勝し、5日目、横綱若乃花(後の間垣親方)と割が組まれた。
右上手を取った若乃花は、強引に上手投げを放ったが、首の故障等で握力が落ちていたせいか、上手から手が離れてしまう。さらに突き落としに行ったが、大錦は体を傾かせながらも残し、左で下手を引きつけ、右手で若乃花の右足を内側から掬い上げ、左へもたれ込むと、物のみごとに決まって、若乃花は仰向けにひっくり返った。糖尿病、腰痛などで苦労しながらもこつこつと努力し、その努力の結果、再び金星を挙げることができたのだ。しかも、小股掬いという奇手で豪快にひっくり返すという相撲で。
大錦はその後も、時折横綱や大関を倒し活躍したが、三役には復帰できないまま引退。
ぼくは、この相撲がきっかけで大錦関に特に注目するようになり、やがてファンになりました。まさに、印象に残る相撲です。
昭和58年名古屋場所

千秋楽

隆の里俊英:千代の富士貢

寄り倒し

隆の里(後の鳴戸親方)が、2度目の優勝と横綱昇進を決めた相撲である。
隆の里は、立ち合いで素早く左前ミツを取り、千代の富士(後の九重親方)はこれを嫌って巻き替え、右四つがっぷりに組んだ。隆の里は、先に上手を取ったものの、やがて切られてしまう。千代の富士は寄って出たが、隆の里は全く慌てず、逆に寄り返し、千代の富士は残るが、再び隆の里が上手を取った。両まわしを引きつけた隆の里は、千代の富士を吊り上げ、黒房下に運び、千代の富士は正面土俵に回ってこらえたが、隆の里は右外掛けでその重心を崩し、自分の体勢を更に低くして、寄り倒した。隆の里は、14勝1敗で2回目の優勝を決めた。夏場所が13勝で準優勝、そして、名古屋場所が14勝で優勝。場所後、横綱審議委員会で横綱に推挙された。糖尿病などで長年苦労し、初土俵から横綱昇進まで最も長くかかった隆の里は、“おしん横綱”の異名を取った。
隆の里は当時、既に30歳を過ぎており、短命横綱で終わってしまったが、横綱昇進後も2度の優勝を飾り、横綱としての責任を果たした。
平成2年名古屋場所

千秋楽

旭富士正也:千代の富士貢

掬い投げ

旭富士(現・伊勢ヶ濱親方)は、大関昇進後、何度も横綱になるチャンスがあったが、いつもここ一番に勝てず、相撲内容の悪さと日頃の稽古不足も指摘され、横綱昇進は実現しなかった。だが、平成2年夏場所、14勝1敗で優勝し、その翌場所(名古屋場所)、14日目まで13勝1敗で、千秋楽、優勝と横綱を懸けて、横綱・千代の富士(後の九重親方)に挑んだ。
両者、右四つに組み、左上手を引いた旭富士は、左へ回って頭をつけ、左外掛けに行き、更に左を巻き替えて寄り立てるが、千代の富士も寄り返し、大相撲となったが、最後は土俵際(黒房下)で千代の富士の左上手投げと旭富士の右下手投げの打ち合いとなり、旭富士が左の差し出を抜いて千代の富士の頭を押さえて右から掬い投げに行くと、これが決まって、千代の富士は土俵に転んだ。旭富士は、2場所連続で14勝1敗の成績で優勝。場所後、63人目の横綱に昇進した。今まで何度も昇進のチャンスを逃した旭富士の努力がついに実ったのだ。
昇進後も常に優勝に準ずる成績を残し、平成3年夏場所には横綱昇進後初の優勝も飾るが、その翌場所(名古屋場所)から突然衰えが見え始め、翌年(平成4年)初場所中に引退した。

 


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