名大関、貴ノ花利彰

 

貴ノ花関(後の二子山親方)というと、戦後最高の人気力士ではないでしょうか? 軽量ながら、こつこつと努力し、強靭な足腰を活かし、常に全力を出し切る相撲には、我々ファンは心を打たれたものです。特に、昭和50年春場所、優勝決定戦で横綱・北の湖関(後の北の湖親方)を破って初優勝を決めた時は、貴ノ花関のファンのみならず、相撲を知っている全ての人が感動したことでしょう。

それでは、名大関・貴ノ花関のプロフィールを紹介します。

 

本名 花田 満(はなだ・みつる)
生年月日 1950年(昭和25年)2月19日
出身地 青森県弘前市 (生まれは、北海道室蘭市)
所属部屋 二子山部屋
初土俵 昭和40年夏場所
十両昇進 昭和43年春場所
入幕 昭和43年九州場所
大関昇進 昭和47年九州場所
現役引退 昭和56年初場所
没年月日 2005年(平成17年)5月30日
幕内総成績 578勝406敗58休    勝率= .587
幕内優勝 昭和50年春場所   13勝2敗
昭和50年秋場所   12勝3敗
三賞 殊勲賞:3回   敢闘賞:2回   技能賞:4回
下位優勝 昭和40年名古屋場所  序ノ口優勝  6勝1敗
昭和43年秋場所    十両優勝   11勝4敗
昭和44年九州場所   十両優勝   11勝4敗
四股名

花田満→貴ノ花満→貴ノ花利章→貴ノ花利彰→
貴ノ花満郎→貴ノ花健士→貴乃花健士→貴ノ花利彰

年寄名 鳴戸満→藤島利彰→二子山利彰→二子山満

 

大関を50場所も務めましたが、最後まで内臓疾患と怪我に悩まされ、横綱昇進は実現しませんでした。

ぼくは、子供の頃、テレビで相撲を見ていて、貴ノ花関が登場すると、いつもテレビに向かって「タカノハナ〜〜〜」と大声で応援していました。(本人には、全然聞こえもしないのに。) 貴ノ花関が現役を引退する時、テレビに向かって応援できなくなるかと思うと、本当に寂しかったです。

引退後は、年寄・鳴戸→藤島を襲名し、部屋を興し、数々の関取を育てましたが、兄・二子山親方(第45代横綱・若乃花)の定年に伴い、1993年春場所より二子山を襲名し、二子山部屋と藤島部屋を合併しました。
2004年の2月より、部屋の経営を次男の貴乃花親方に譲り、理事の仕事に専念していましたが、その頃から体調不良で入退院を繰り返すようになり、2005年5月30日、口腔底癌のため亡くなられました。

ぼくが小学1年生の頃、テレビで初めて大相撲を見て、一番最初にファンになったのが貴ノ花関でした。もし貴ノ花関が居なかったら、ぼくは大相撲ファンになっていなかったかもしれませんし、ぼく自身も相撲はしていなかったかもしれません。つまり、ぼくが相撲で国体等に出場できたのも、ぼくが相撲のことをたくさん知ることができたのも、当ホームページに「相撲のページ」というコーナーができたのも、貴ノ花関のお蔭なのです。決して忘れることはないでしょう。


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