下電廃線跡地巡り その1
茶屋町〜藤戸
下電の出発点は、茶屋町駅です。 下電の茶屋町駅は、JR(当時の国鉄)の茶屋町駅に隣接していました。ある本に載っていた古い航空写真を見ると、このあたりに下電の茶屋町駅がありました。その下電の茶屋町駅は、現在は跡形も無く、郵便局が建てられています。 |
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下電の廃線跡地は、現在は整備され、遊歩道(自転車道)として利用されています。左の写真の中央にある道が、線路があった所です。 現在は、ここが鉄道であったことを象徴する物はありませんが、古い地図を見て、駅からの方角を考えると、やはり、ここが下電の廃線跡地であると考えられます。 この写真は、ぼくの廃線跡地巡りのシーズンが始まる秋に撮影したものです。 |
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この写真は、ぼくが初めて茶屋町〜児島間を歩いた時に撮った写真です。枯れた木を見て分かるとおり、季節は冬です。(暦の上では、春でしたが。)ぼくにとって、廃線跡地巡りの最高のシーズンです。 茶屋町駅を出発し、ふと立ち止まり、駅の方を向いてみました。「まだ、これだけしか歩いてないのか。児島まで歩けるかなあ?」とか考えながら、再び、歩き始めました。 |
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季節は春、桜の花が満開です。近い将来、県下一の桜の名所になりそうな所です。電車が走っていた頃は、このような桜並木も、無かったのでしょうね。 廃線跡地を歩いていると、自分も電車に乗ったような気分になり、何度でも歩いてみたくなります。特に、この時季は、綺麗な桜の花も見れるので、最高です。 この桜の花が散ると、ぼくの廃線跡地巡りのシーズンも終了します。 |
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桜の木が、緑の葉でいっぱいになり、季節は夏です。 ぼくは、夏は苦手なので、この時季に歩くことは無いのですが、一度だけ、歩いたことがあります。この写真も、もちろん、その時に撮った物です。 このように、茶屋町駅前の廃線跡地は、桜並木が季節を象徴しています。 |
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桜並木を通り抜け、更に前進して行くと、天城駅の跡地があります。この写真の建物が、天城駅の駅舎だったそうです。ごく普通の家と変わらないような建物なので、駅舎とも気付かず、いつも素通りしていましたが、ぼくが廃線跡地巡りを始めて10年以上経ったある日、テレビで言っていたのを聞いて、この建物が天城駅の駅舎だったことを知りました。廃線後、ほとんどの駅舎が取り壊されているだけに、このように残されている情景には心を打たれました。(平成2年廃線の箇所ではなく、昭和47年廃線の箇所ですので、尚更です。)
しかし、令和元年5月に行ってみたら、既に取り壊され、家が建てられていました。 |
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天城駅の跡地を更に南へ行くと、倉敷川が流れています。この橋は、塩干橋(ひぼうしばし)といいます。 電車が走っていた頃は、ここは、当然鉄橋でした。 ぼくは、ここが鉄橋だった頃の写真を本で見たことがあったので、わざと、その本の写真と同じ方向から撮ってみました。 「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと」と口ずさみながら、この橋を渡りました。 |
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1995年3月撮影 |
2004年7月撮影 |
藤戸駅の跡地と思われる場所に近づくと、駅のホームらしい物が見えました。その上には、看板のような物が立っています。「もしや、これは藤戸駅の看板では?」と思い近づくと、これは紛れも無く、藤戸駅の看板でした。ぼくが廃線跡地巡りをしようと考えた時、最も期待していたのが、こういう駅の古い看板だったのです。最も見たかった物が見られて、本当に感動しました。 ぼくは、このホームに上がり、看板をしばらく見つめたり、看板の横に立ち、電車が来るのを待つような格好もしてみました。 現在は、写真の看板は撤去され、復刻された看板が立てられています。 藤戸駅は、昭和25年頃に作られたと聞いています。 |
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感動の藤戸駅をあとにして、更に前進しました。 周りに見えるのは、山と農家、とても長閑な所です。 最近の若者は、こういった場所は好まない人が多いようですが、時には、こういう所を歩いてみるのも、癒しになり、いいのではないでしょうか? |