下電廃線跡地巡り その2

林〜小川

 

林駅跡地 林駅の跡地です。

現在は、ここが駅であったことを象徴する物は残っていません。ぼくは、ここが林駅の跡地ではないかと以前から感じていて、写真も撮っていましたが、ここが林駅の跡地だという確証は無かったので、なかなかアップしませんでしたが、その後、テレビの番組で、ここが林駅の跡地であるということを言っていました。

林駅付近 林駅の跡地と水島インターの中間あたりです。
右の、車が走っている道は、県道21号線です。

この廃線跡地を初めて歩いた時は、この辺まで来ると、バス停の看板を見るたびに、「もう、この辺でやめておいて、バスに乗って帰ろうかなあ」と考えていました。
でも、そう考えた直後に、「いや、もう少し歩いてみよう」と考え直し、ただひたすら歩き続けました。

福田駅跡地 福田駅の跡地です。

民家が立ち並び、駅は跡形も無いので、詳しい位置は分かりませんでしたが、古い地図で位置を確認すると、この辺りであると分かりました。その後、テレビの番組でも、ここが福田駅の跡地であるということを言っていました。

福田駅は、車線がふたつあり、交換できる駅だったと聞いています。(本に写真が載っていたのを、見たことがあります。)

福田駅付近 福田駅の跡地を通過すると、廃線跡地は、山の上に登って行きます。山の上を走る電車に乗ったことのないぼくは、改めて感動しました。そして、電車に乗ってこの辺を走ることを想像したりしました。

この辺には、古い墓地もありました。

もう少し前進すると、向かいに、福南山という大きな山も見えました。

鉄塔の土台 稗田駅の跡地付近で、ぼくは、またまた感動的な物体を発見しました。下電の線路沿いに立てられていた鉄塔の土台です。茶屋町〜児島間の鉄塔は、廃線後に撤去されましたが、今でも、所々にこのような鉄塔の土台が残っています。これも、ぼくが、廃線跡地で見たかった物のひとつです。

こういう貴重な物を見つける度に、「廃線跡地を歩いてよかったなあ」と実感します。

稗田駅、ホーム 稗田駅の跡地に到着すると、駅のホームが残っており、駅の看板もありました。でも、このホームも看板も、昔のままではなく、かなりリメイクされた物でした。ホームの上は綺麗に舗装され、看板、ベンチ、柵など、全て新しく作られた物でした。新しい物だと分かっていても、廃線になって長い年月が過ぎているにもかかわらず、このように駅の形を残している光景には、心を打たれました。このホームでも、やはり、この看板の横に立ち、電車が来るのを待つような格好をしてみました。

看板の裏側には、下電の由来が書いてありました。下電に関心を持つぼくにとって、とてもありがたい物を発見しました。もちろん、その場で読み、写真も撮りました。現在は、その由来を書いた物は、看板の裏側でなく、表側の下部に付けられています。表側に付けたことが裏目に出たのか、最近は、心無い若者がプリクラを貼ったりしています。それを見た時、ぼくは、本当に残念に思いました。下電の由来は、こちらをクリックすると見ることができます。

ぼくは、下電の廃線跡地を歩く時は、必ずこのホームのベンチに座り、ひと休みしています。

稗田駅、看板
稗田さくら公園 稗田駅の駅舎があった場所です。

現在は、「稗田さくら公園」として生まれ変わっています。茶屋町駅前同様、季節を象徴する桜の木があり、この付近一帯では、春になると、桜祭りのようなものが開催されています。

ところで、この写真の後方に写っているトイレ、かなり古そうなトイレでしたが、もしかして、ここが駅だった頃からのトイレなのでしょうか?(現在は、トイレもリフォームされています。)

児島小川駅跡地? 稗田駅跡地をあとにして、更に前進すると、柳田と小川の境目に川があり、その川を跨いでいる陸橋があります。この写真は、陸橋の上から、小川方面を撮ったものです。正確な位置は分かりませんが、古い地図によると、このあたりに児島小川駅があったと考えられます。藤戸駅のように、駅のホームや看板をそのまま残している所もあるかと思えば、このように、跡形も無く姿を消している駅もあります。

もう少し前進すると、昭和47年3月に廃線になった茶屋町〜児島間(14.5キロ)の最後の駅、児島駅に到着します。

 


「下電廃線跡地巡り・その3」へ進む 「下津井電鉄廃線跡地を歩いて」表紙へ戻る