下電廃線跡地巡り その3
味野〜赤崎
現在は、ここから先も線路は取り外され、遊歩道(自転車道)となっていますが、
線路が残っていた頃の写真を多く撮っているので、その頃の写真をアップしています。
児島駅のホームと線路です。 写真を見て分かるとおり、新しく作りなおされたホームです。廃線になる1年9ヵ月前、瀬戸大橋が開通し、その瀬戸大橋ブームに便乗し、ホームばかりでなく、駅舎も改築され、イベント列車も走らせたりして、乗客の増加を狙いましたが、その甲斐もなく、1990年12月31日を最後に廃止されました。 現在は、この場所も線路は取り外されていますが、ホームや駅舎はそのまま残っています。 |
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現在もそのまま残っている、児島駅の看板です。 児島駅は、当初は「味野駅」という駅名でした。 そして、駅の場所も、当初は400メートルほど北にありましたが、JR瀬戸大橋線開通の少し前にこの場所に移動したと聞いています。それは、JR児島駅と下電の児島駅をつなぐ、連絡駅にするためだったのでしょう。 |
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廃線前の、児島駅の時刻表です。 昭和30年代のピーク時には、1日32回往復し、年間で約300万人の客を運んでいたそうですが、廃線前は、電車の運行はピーク時の半分ほどですね。 児島から下津井までが、240円ですか。 |
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児島〜備前赤崎間の線路です。 この写真が、ぼくが最初に撮った、下電廃線跡地の写真です。 生い茂る雑草の中に寂しそうに残っている赤茶色に錆びた線路が、とても印象的でした。 この周りには、住宅が立ち並んでいます。 |
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住宅街のど真ん中に敷かれている線路を、立ち並ぶ住宅と一緒に撮ってみました。 この写真を見ていると、遠くから電車が走って来そうな気がします。そして、何処からともなく、「線路は続くよ、どこまでも」という歌が聞こえてきそうです。 子供の頃、この線路の周りで遊んでいて、怒られた人も多いでしょうね。現在は、ここでいくら遊んでも、誰も怒りませんが。 |
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児島駅を出て南へ行くと、備前赤崎駅があります。ただ単に「赤崎駅」と言わず、「備前」を付けているところが、駅名らしいですね。 最終的には、写真の左側のホームのみ使われていたみたいですが、右側にもホームがあります。昔は、両方のホームを使い、交換できるようになっていたと考えられます。 左側のホームには、昔、駅舎が建てられていたという噂も聞いています。 |
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備前赤崎駅と阿津駅の中間あたりです。 この近くには、あの有名な、鷲羽山ハイランドがあります。ぼくは、その鷲羽山ハイランドにもよく行くのですが、電車が走っていた頃は、この辺を車で通って、電車が走っているのを見ても、乗ろうという気にはなりませんでした。今考えると、「あの時、乗っておけばよかったなあ」という気持ちでいっぱいです。 |